賢治が「聖地」と呼んだ小岩井農場の風景。

宮沢賢治の童話「虔十(けんじゅう)公園林」
東北・岩手のとある村に虔十(けんじゅう)という底抜けにお人好しで、 いつもはあはあ笑っている「ちょっと足りない」と皆にバカにされている 男がおります。彼の心には詩が宿り、<自然>そのものが宿っているのです が、誰もその事に気が付きません。彼はそれを表現する術を持たなかった のです。しかし、ある時急に虔十は、杉苗を七百本買ってくれと言い出し ます。それを空き地に植えて杉林にする”計画”なのですが、その土地は 下層が粘土盤で、根が深く張れない為に、杉の木は三メートル以上は育た ない場所だったのです。そこで、皆はまた彼をバカにします。ところが、 その高さ三メートルの杉の林は、子供達にとっては立派な並木道であり、 自分達と一緒に並んで遊んでくれるような親近感の持てる場所となります。 そしてそこが、学校の地続きの土地だったので、子供達は全く自分達専用 の遊び場にしてしまいます。 そんな子供達を、虔十はいつも嬉しそうに 見つめ続けます。来る年も、来る年も、子ども達が育ち、去っていくのを、 じっと見つめ続けるのです。 やがて、その学校を出て成人し、アメリカに 渡って大学で講義をすることになった若い博士が、何らかの理由で郷里に 戻って来ます。そして、自分の村がいつか町になり、全てが変わり果てた 中で、虔十の杉林だけはいつまでも三メートルの丈のまま、子供達を同じ ように遊ばせているのを見ます。虔十は死んで、もうそこにはいませんで したが、その変わらない杉の林が、彼そのもののように子供達を見守り、 遊ばせているのです。その時、若い博士は「ああ、あの中に私や、私の友達 がいないだろうか」と、タイム・スリップして感動に打たれます。そして、 何が本当に”有り難い”ものなのかに気付き、自ら提案してその杉林を 「虔十公園林」と名付け、自分と同じようにその学校から出て広い世の中で 活躍する同窓生達と共に、永遠に保存しようと努めるのです。 ここでの本当に主役は、虔十(賢治)そのものである杉林です。